江戸時代の画家 伊藤若冲(1716年ー1800年)生誕300年を記念し、先だってその作品が大きな注目を集めた。
NHKの数回にわたる特別番組、東京都美術館での特別企画展(すでに終了)は大好評あるいは大盛況だったよう。
以前から若冲作品に心底惚れこんでいた者としては、まことに喜ばしい回顧現象であった。
私にとって若冲最大の魅力は、
1. 「生きる」ことを栄枯盛衰の幅で見せてくれる
2. 細部に妥協しない
の2点にある。
⬛︎ いのちの栄枯盛衰
動植綵絵の「軍鶏図」が生命力きらめく陽の極致の作品であるのに対し、
「蓮池図」は盛りを過ぎ、静かに衰えゆく命の陰の側面を描き、
静謐だが鮮烈な印象で見る者に迫ってくる。
うつろいゆくいのちの姿を、
陰陽両面ではっきりととらえ、
その生命感を誰にも真似できない筆致で描いたところに、
若冲のすごさ・素晴らしさを感じるのである。
思うに、
軍鶏や蓮池のモチーフありきであったのではなく、
生命の陽の極まりを軍鶏に、
陰の象徴を蓮池に見たのでそれらを描いたのではなかろうか。
⬛︎ 妥協のない細部へのこだわり
美術館で絵を鑑賞するとき、
遠目にはひきつけられても、
近くで仔細に見ると「それほどでも」と期待を裏切られることがある。
若冲作品においてそれは皆無で、
近づけば近づくほどそのすごさ、すさまじさが理解され感嘆させられる。
妥協のない細部へのこだわりを
NHKの番組では高解像度のデータを駆使して、
わかりやすく見せてくれて、大変得心がいったのだが、
普通の画家がぬりつぶすところを、
若冲は妥協を排しすべて線で描いているという。
いのちのありのままの姿を描くには塗るのではなく、
線でなければならないというそのこだわりが現代の我々に感動を与えてくれる。
⬛︎ 太極拳のこだわり
太極拳(呉式で言えば慢架108式)を大きくとらえたとき、
妥協せずもっともこだわらねばならないのは
「均等を保つ」ことではないだろうか。
◯はじめから終わりまで均等なスピードで動く
(分脚、蹬脚、擺蓮脚などの蹴りのときもスピードは必ず同じ・加速しない)
◯断点を作らない(古典太極拳にいわゆる「決め」はない)
◯重心の高さは終始一定(海底針・下勢などのごく少ない例外はあるが)
◯骨盤は必ず四正・四隅のいずれかの方向に向く・多少なりともズレてはならない
いのちを表現するのに若冲が細かい線にこだわったように、
我々も妥協せず均等を保ちつつ太極拳を行えば、
体に備わったいのち本来の力が今以上に引き出されてくるに違いない。
地道な積み重ねではあるが、
他とは異なるものを生み出す確かな方法とエネルギーがここにはあるように感じる。
太極拳に向き合う姿勢のお手本を、若冲の絵に見つけ、
共感の思いをつづるのに少し長くなってしまった。おゆるしいただきたい。