第36回 名人の感性


先日茶道 遠州流家元・小堀宗実さんの『茶の湯の不思議』を読み心をうたれ、

昨日国立能楽堂で「野宮(ののみや)」を舞う名人・友枝昭世さんの舞台を観て感銘を受けた。

その二つが私のなかで不思議とシンクロしたので、今回はそのことに触れてみたい。

小堀さんによれば茶の湯の基本は「もてなしの心」で、

道具の取り合わせ・しつらいの工夫、料理やお菓子の用意、庭の掃除、

さまざまに凝らす趣向はすべてお客さまおもてなしのためだそうだ。

ある茶人に茶の湯の極意をきかれた利休は、

次のように答えたという。

一. 花は野にあるように

一. 炭は湯のわくように

一. 夏は涼しく

一. 冬はあたたかに

一. 刻限は早めに

一. 天気にても雨の用意

一. 相客に心をつけ候事

「それなら、誰でも知っていることです」と茶人が言うと、

「このことすべてができれば、自分があなたの弟子になりましょう」

と利休は答えたという。

平凡のなかにひそむ非凡を見逃さず、

それを最後まで追求する人が名人たりうるという大宗匠・利休の本懐が響いているようでまことに説得力がある。

しかし人と同じこと(型)をして人と違う何かを感じさせることは本当に難しい。

友枝昭世さんの舞台の印象と利休の言葉がイメージとして重なり合うのは、

平凡なことが非凡なこととしてさりげなく光っているからだと感じる。

幕が上がったときのシテの立ち姿、橋掛りを歩く姿、座ったときの姿勢、

演能の基本中の基本がどれも普通とは次元を異にする格別の美しさで存在する。

新奇をこらすわけではなく、基本を当たり前のように行って普通と全く違う何かがにじみ出てくるところに名人の名人たる位、また能の幽玄があるのだろう。

同門の大先輩からうかがった話だが、友枝さんは座るときの姿勢、また立ち上がるときの姿勢一つにも徹底的なこだわりがあるという。

昨日の舞台ではそのこだわりすら姿・動きのなかに昇華され、幽玄の美だけが立ち上がっていたが、

時代と空間を飛び越え、観るものをあのときの野宮へといざなう魅力と美しさは、

立つ、座る、歩くという基本中の基本の輝きが大いにあずかって力あることを見過ごしてはならない。

利休、昭世両名人の感性、そしてそれを体現する練習量から太極拳と向き合う姿勢を学びたい。


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