現代日本語の「学ぶ」から立ち上がるのは
「学習」という語感だけであるが、
古語にはもう一つ別の重要な意味が含まれる。
それは「まねぶ」=「真似ぶ」という意味。
型の練習では「真似ぶ」と「学ぶ」が常に上達の両輪となるので、
武道をやっている人には「真似ぶ」はとてもシックリくる感覚であろう。
武道に限らず日本・中国における伝統技術の伝承は、
「真似び」から「学び」がはじまることが通常であった。
書の臨書、絵画の模写、素読を含む名文の暗唱など
いずれも先達が残した完成品、
すなわち最高到達点のマネを繰り返すのが伝統習得の王道であった。
現代は個人や個性を尊重するあまり
「真似び」の学習システムが危うくなっているように感じられる。
残念なことだ。
没個性の真似びに徹したところから出てくる個性は、
伝統の厚みに支えられた柔軟性と親和性に富み、
その応用範囲は無限の可能性を秘めていると、
型の真似び・学びを繰り返すことで、
心底そう思えるようになった。
古(いにしえ)を稽(かんが)え、今を照らす、
「稽古照今」とは実に言い得て妙だが、
「真似び」学習の核心はここにあると思う。
それは今の技量・人格を照らしてくれる古の光であり、
同時に今をアップデートしてくれる確かな方法論でもある。