このテーマ、 思いのほか長い連載となったが今回で結びとしたい。 とりあげたそもそものキッカケは、 屋外での太極拳練習体験。 分脚や蹬脚など蹴りの動作で強風にあおられバランスを崩したことによる。 もし足腰を決めて安定した姿勢で立っていれば、こうはならなかった。 手前ミソで恐縮だか、 私にとって喜ばしかったのは強風にカラダをすくわれるほどギリギリのバランスで立っていたこと。
その中身はバランスを崩す寸前の危うい状態ではない。 実はギリギリのところで成立する、ここ以外にないグッド・バランス。 体がバラバラの崩壊寸前と異なるのは、 中定によって全身が貫かれ調和状態が保たれていること。 これは骨盤がギリギリのところまで前進あるいは後退してはじめて可能となる繊細な姿勢。 『太極拳経』の 「進みてはいよいよ長く、退いてはいよいよ促す。一羽も加うる能わず、蝿虫も落つる能わず」 とは、 「天秤」がつりあいをピッタリと保っている状態。 子供のころの理科の授業を思い出していただきたいのだが、 天秤の左右がつりあうことはほとんどない。 一方がわずかでも重ければぐらぐらと揺れ、傾いてしまう。 つりあった天秤にとっては鳥の羽一本ですら重く、バランスを損なうものなのだ。 天秤の比喩は太極拳の各姿勢における中定のこと。 呉式太極拳では鳥の羽一本を重しとできるほどにギリギリまで前進あるいは後退し、 極めて繊細なバランスを保ちながら動くことを心がける。 そのギリギリのところでもし 力むことなく かたよることなく 停止することなく 中定を保つ(=天秤がつりあう)ことができれば、 その太極拳は悪からぬ内容となる。 内面的な柔らかさ、自由度はこのような練習を積み重ねていくことで徐々に身についてくる。 強風にあおられバランスを崩す程度では、 一羽を重しとするには程遠いが、 図らずもあの日の強風によってその絶妙なバランスに近づくための練習軌道に乗ってはいることが確かめられた。 それを福音とし屋外練習環境に感謝したい。