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執筆者の写真呉式太極拳 順展会

第62回 ゆたかな道中こそ


「良い質問は良い答えにまさる」

という言い方がある。

完成形(型)と向き合うことが練習の中心となる伝統武術では、

この言葉、実に味わいが深い。

イマジネーションの果てにクリエーションがあるとすれば、

答えには過程となるあまたのイマジネーションが内臓されている。

型を点としてではなく立体的に理解するうえで大切なのは、

クリエーション以前のイマジネーション。

答えとしての型に集約される前に躍動した創始者のイマジネーションを読み解き共有することが、

練習の幅、高さ、奥行きとなる。

旅にたとえるなら、

型の完成という目的地へ行くのに、

どういう方法で、どれだけの時間をかけて到達したのか、

これらの「道中体験」こそが型を読み解く道程なのだ。

練習から湧き出てくる疑問やひらめきはすべからくこの道中に向かって行くはずである。

現代は新幹線や飛行機を使えばものの数時間で全国津々浦々を移動できる便利な時代。

ではあるが、

目的地へ到達するためのスピード、快適、便利を手にした代わりに、

私たちはゆたかな道中を失ってしまった。

人気を博した「東海道中膝栗毛」の醍醐味は、

弥次さん、喜多さんと同じ道中を同じ時代に歩いた江戸当時の人がもっとも共感できるはずである。

新幹線や飛行機の移動に慣れ、自分の足で歩く道中を失ってしまった現代人と江戸当時の人とでは、作品への親近感や立体感はまるで違ったものであったことと想う。

型の正しい練習方法とはどのようなものか?

上のような次第のなので、

私は創始者と同じ道中を同じ時間をかけて歩くことと答える。

型は到達点から出発点に向かって同じ量、同じ質のイマジネーションを引き出してくれる正確な地図。

その地図からできるだけ多くの質問やひらめきを引き出し、ゆたかな道中体験をしたい。

文芸作品と異なり、人体環境は時代や場所に左右されにくい。

方法さえ間違わなければ創始者と同じ道中の体験に支障はないと思う。

長くけわしい道ではあるが。


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