二つを簡潔に整理すると、 カオスは秩序の乱れた状態。 コスモスは秩序が調った状態。 太極拳練習後、コスモス性の総合的な高まりを我われは感じることができる。 30分前後の決して短くない時間、高いレベルで心身を運用するにもかかわらず、 太極拳のあとは息が乱れない。 激しいスポーツのあとに感じるような疲労がない。 早い話が、心身のカオス性が増大しないのがとても不思議。 なぜであろう? 太極拳は「出力ではなく循環」「消費ではなく調和」を重んじるからと答えたい。 循環と調和によって自己という場の組織化を図るのが太極拳の見逃せない特徴。 そのため内なるエネルギーをパフォーマンスに変換し、外に出力することがない(ほとんどない)。 むしろ外への消費・出力を極力おさえ、内なる循環と連絡を調えつつ場のエネルギーを充実させていく。 心身が交信しながら外的・内的に「ととのう」「つながる」ことで 自己組織化=コスモスの状態が高められる。 ゆっくりと行う慢架の太極拳に発勁がないのもこのためだ。 通常、走る、跳ぶ、投げる、蹴る、泳ぐなど、スポーツの動きは、 レベルの高い動きになるほどエネルギー消費量が増える。 高パフォーマスンスは大きなエネルギーに依存して産み出されるため、 その代償として息があがったり、疲労がはなはだしかったり、負担が集中するところを痛めやすかったりと、 自己組織化が乱れ、システムのカオス性が増大する方向へメカニズムが働く。 私たちが身近に使う携帯電話も同様で、 使えばつかうほどエネルギー=バッテリーが消費され、 無秩序=高温化や電池切れの方向へと進んでいく。 使わなければ秩序が乱れずコスモス性を失わないのではないかと思われそうだが、 残念ながら、さにあらず。 人間は動物であるため動くことで心身のバランスと秩序を保っている。 ギブスで長期間体を固定すると、その部分が細くなり弱ってしまい、また気分もすぐれないのは、 体を動かさないことで脆弱性というカオスが増す何よりのあかしである。 先天のエネルギーが心身にあふれる10代後半から20代は、 消費、出力偏重で、補うことを顧みないのは自然の勢いかもしれない。 しかし先天のエネルギーが衰えはじめる40前後くらいからは パフォーマスンスより自己組織化の向上への配慮・取り組みが欠かせない。 「健康寿命」が今ますます注目されている。 医療や介護のお世話になるべくならず、健康な毎日を快適に過ごすには、 出力よりも循環と調和に重きを置き、 消費したら補充するサイクルを確立し、 ひいては自らの生命力を高めていかなければならない。 先天と後天のエネルギーバランスが大きく変わる人生の中盤から後半においては このサイクルを持つか持たないかで人生が大きく左右されるのではないだろうか。 からだ・息・ココロのすべてを協調させ、 しかも同時進行で循環・調和・組織化を高める太極拳は健康寿命の心強い味方であろう。 人生のトータル・エネルギーの良きたくわえ方、補い方、使い方を今後も太極拳を通して探求していきたい。