友人から食器洗い用スポンジ(?)をいただき愛用している。いつ頃かはっきりと覚ていないが、おそらく一年半ほどつかっている。
年中無休、日々活躍してもらっているにもかかわらず、型崩れはおろかほころばない。
手編みならではの「柔らかな堅牢性」、まさに畏るべし!
大量生産品であれば、おそらくもって数ヶ月。一年半のあいだには何度かの代替わりが必要であったであろう。
丈夫な素材を用い、手間ひまをかけ、丁寧に編みこんだものの完成度と耐久性は本当に感動もの。
ペルシャ絨毯は踏んでも踏んでもその美しさ・質感に劣化がないそうだが、食器洗い用の編みものは私にとって今では小さなペルシャ絨毯のような存在で、使ってもすり減らない丈夫な高品質の恩恵はありがたい。
武術の稽古は伝承された型の糸を用いて丁寧に丁寧に体を編みこんでいく作業。
それを積み重ねることで「柔らかさ」と「強さ」を兼ね備えていく。
食べもののパッケージは外の空気を遮断し、なかのものの乾燥(=鮮度)を保つ優れもの。その優れものにも方向性という弱点がある。強い方向には大きな力で引っぱてもビクともしないが、切りこみを入れ弱い方向ができると、小さな力でも簡単に破ることができてしまう(開封が簡単な強いパッケージ、重宝ですね)。
稽古はパッケージのもつある方向への弱さ(=スキ)を無くす作業で、しなやかで丈夫な糸をあらゆる方向へ縦横無尽に編みこんでいかなければならない。だから手間もひまもかかる。
強さってなんだろう?
考え方は色々だが、人体に関して私は「柔軟性」と「可塑性(変化できること)」が強さの第一義であると思う。
何十年の使用に耐える立派な鉄筋ビルも地震のような大きな力が予期せぬ方向から襲ってくると、堅牢性ゆえの弱さが目立ってしまう。
固い素材でガッチリ組み立てられたものは、耐用範囲内の力にはめっぽう強いが、それを超えたものには切りこみを入れられたパッケージのように脆い。これが固くて変化できないものの特質であり、また限界でもある。
一方、生きものである私たちの体は柔らかく、常に変化できる。言い換えれば、いつでも作り変えが可能。これは人間のみならず環境への適応が生存の必須要件となる生きものすべてに共通の特徴。動くものと動かないもの、生きものとビルのような無機質のものの決定的な境界はここにある。
生きものとしての我われの体をいかに柔らかく保ち続けるか、柔らかくあるためにいかに変化し続けるか、武術の稽古はそうあるための素材と方法を最も確かな形(型)で提供してくれいる。
人は柔らかく生まれ、固くなって死を迎えるが、その間の広大な人生は素材と編みこみ方で時間も質も大きく変わる。