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執筆者の写真呉式太極拳 順展会

第89回 わざわい転じて整理する


イヤホンで音楽を聴きながら、自販機でお茶を買った。

支払いは電子マネーSuica。

とどこおりなくタッチ&決済完了!

が、それに気づかず、機械の感度のせいでエラーと誤認。

再オーダー&タッチ&コンプリート。

感度が悪かったのは、自販機ではなく自分のほうだった。

近頃の自販機はスマートにして高感度。

聴覚をふさがれた鈍い客(わたし)の見落とし・聞き落としをよそにお利口な自販機は仕事をキッチリこなし、同じお茶を二本取り出し口へ速達。

一本目のボトルを手にとるや、間髪いれず二本目がボトン!

一瞬「当たり?!」と思ったが、

「・・・」(約一秒)

「やっちまった〜」と状況を理解。

外部環境の入力経路を閉ざす危険をこのたび再認識。

一つ閉じると私のように他にも悪影響がおよび、判断力までにぶる。

反省、反省。

反省と自戒の念をこめて太極拳の出入力の様子をこの機に整理しておきたい。

有名なあれ、『太極拳論』の「人、我を知らず、我独り人を知る」。

スキが出るのは武術共通の戒め。

太極拳では気配すら出さないことをめざす。

めざす上で特別な練習があるわけではなく、型と推手を淡々と繰り返すだけ。

ただその繰り返しのなかに、力みや偏り(いずれも外に出したくない、かつ目立つ情報)を修正し、それらを極限まで小さくしていく。

人間である以上、力みも偏りも完全に消えることはないが、相対的に目立たなくすることはできる。

だから太極修練は無限の修正。

武術において出力と入力は不即不離。

相手に対して自分の断点やスキなどの不合理が相対的に小さければ、気配はその小ささの中に隠れ見えなくなる。

木は森のなか、小さなスキは大きなスキのなかに隠すのが上策。

一方、相対的に大きな相手の情報は細大漏らさず入ってくる。

ふもとからでも富士山はよく見えるが、頂上からふもとの人は見えないのと同じく、小さなものは見えにくく、大きなものは感じやすい。

よって、相手の大きな断点やスキはリアルタイムでモニタリングされる。

モニタリングに努めているわけではなく、ただ感知されるだけ。

太極拳を続けると脳の解釈を必要としない感知に徐々に近づいていくため、触れたポイントで全的な対応ができるようになる。

どのように?

相手の断点やスキを感じた瞬間、同時にそのポイントに埋まっていくように。

あからさまな圧力や打撃を加えないので、その反応に気配はない。

呉式太極拳の推手練習はこのようなやりとり。

「人、我を知らず、我独り人を知る」

「ゆっくりにして電光石火」

の体の状態は、

正確にゆっくりと行う太極拳と推手によって少しずつ養われていく。それしかない。

入力情報に対しては水も漏らさず、出力情報に対しては人知れず、

太極状態はまさに見えない、感じられないように開きつつ閉じた系。

菌やウィルスに対して徹底的に不寛容・厳格な対応をする生体の「わずかに開いた閉鎖系」とよく似ている。

その意味で太極拳の動きは命のいとなみそのものである。


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