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第24回 管仲の明察

執筆者の写真: 呉式太極拳 順展会呉式太極拳 順展会

春秋時代の中国で活躍した管仲(かんちゅう)のことが気になっている。

没年が前645年なので、彼は孔子よりも前の時代の人。

辺境である中国の東北地方、斉の国で宰相をつとめ、

名君 桓公(かんこう)を補佐し、主人を中国の覇者たらしめた。

桓公の大器、管仲の賢と明が相まった斉の国は、

地の利に恵まれなかったにもかかわらず

武力というよりは魅力で他の国々の盟主となっていった。

中国史上最高の宰相として指を屈する人の多い管仲だけに、

心に残るエピソード、心を打つ言葉が数多く残されている。

ここでは彼の富国論と人材育成論に注目してみたい。

「国を治むるの道は、必ずまず民を富ます」

戦乱の絶えなかった当時の時代背景にあって、

管仲は何よりもまず富国に重きを置いた。

外向きの軍事つまり「強兵」以上に、

富国という内側の充実を優先させるところに管仲の非凡があり、

内外の調和が真の強さを生むという傑出した陰陽バランス感覚を感じさせる。

「国」を「己」という言葉に置き換えれば、

太極拳のめざす境地と一致するのではないだろうか。

その管仲に次の言葉がある。

「一年の計は穀を樹(う)うるに如かず

 十年の計は木を樹うるに如かず

 終身の計は人を樹うるに如かず」

「一樹一穫は穀なり

 一樹十穫は木なり

 一樹百穫は人なり」

人を育てることの難しさ、大切さ、そしてその恵みがもたらす計り知れなさを言って間然するところのない名言であるが、

この言葉に接するたびに、

己にとっての終身の計とは何か、

百穫を体現するには、

今どのように己と向き合い、どのような稽古を積み重ねていけばよいか、切に自問させられる。


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