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第35回 後素


大塩平八郎の乱(天保8年・1837年)で有名な大塩の別名を「後素(こうそ)」と言った。

由来は『論語』の「絵の事は素を後(のち)にす」。

素麺からも連想されるように「素」は白色のこと。

絵を描くにあたって、さまざまな彩色をほどこしたあと、

最後に白を用いて全体を引き立たせることのたとえ。

儒教では、修養により様々な教養を身につけたあと、

素である礼によって人格が完成すると考えられていた。

では、武道・武術の場合はどうであろうか。

「素」は何ものにも変化する以前の純白単純な基本であると考えたい。

最後の最後まであらゆる色に深く関わり、全体の風格を決定づけるのは基本、それ以外にない。

呉式太極拳は徒手、武器ともに型の数が多いことで有名だが、

どの型も、応用が基本の「慢架(=太極拳)」「推手」と結びついていることが練習を通し実感される。

呉式あるいは太極拳に限りらず体系がしっかりと整ったものは、

すべての応用が基本から派生するヴァリエーションであると言って過言ではないだろう。

複雑な動き、華麗な動きだけが難しいのではなく、

また単純=簡単でもなく、

技の幅、奥行き、難しさ、これらすべてが単純なことのなかに潜んでいることを忘れてはならない。

素である「基本」に思いを致した量、また取り組んだ量があらゆる応用の下支えとなり、

ひいては最終到達点の風格を決めると信じ、基本に向き合う日々が充実する。


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