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第37回 チカラを身にまとう


今回は戦国武将の正装=甲冑のお洒落について書きたい。

美意識・自己表現のカタチとしてお洒落を楽しむのは、

洋の東西を問わず古今に共通の関心ごと。

とりわけグローバルな情報がいとも簡単にネットで共有される現代では、

最先端の流行ファッションが街のあちこちで見られ、

シックなものから派手なものまで、まことに百花繚乱の様相を呈している。

その現代の全力ファッションと比べて引けをとらず、

むしろ造形の美しさ、存在感の大きさ、見るものに迫る力強さの点で、

強烈な印象を受けるのが戦国武将の甲冑である。

ファッションセンスここに極まれりとさえ思われる。

なぜ甲冑がそのように比類ないオリジナルな印象を与えるのであろうか。

また現代のファッションと何が根本的に違うのであろうか。

思うに、

今のファッションはファッションのためのファッション、

つまり自己を表現したり、見せるものであるのに対し、

甲冑は自己を超越するのものを身にまとい、

そのチカラをかりるための造形が美の極みに達したもの、

両者の本質的違いはココにあると思う。

戦場で生き残るために自己を自己以上のものへ引き上げてくれるチカラ、

いわばすさまじい霊力を味方につけるという発想でデザインされたことが甲冑のベリー・スペシャルな造形を産み出す大きな要因であった。

たとえば武田・真田・井伊などの「赤備え(あかぞなえ)」。

目立つため戦場で標的になりやすい赤をなぜ好きこのんで選ぶかといえば、

赤には矢玉を避ける霊力があると信じられていたから。

また士気を高揚させたり、決死の覚悟の表れでもあったから。

他に象徴的な例を挙げると、

◯兜に鹿の角をかたどったもの

(奈良の鹿でもわかるように鹿は神の使いとされ、神助を期待するデザイン)

◯天台僧の頭巾をかたどった兜

(知性・強さの両立の象徴)

◯豊かな白髪をたくわえた兜

(長生きした老人の持つ経験・知恵をたのんだもの。老人は霊力を持つと当時恐れられていた。中国武術で先生を「老師」という感覚に近い)など。

他に有名どころでは、

アゲハ蝶の絵を刺繍した織田信長の陣羽織。

変幻自在に飛ぶ美しい蝶から信長の神出鬼没な戦術と機動性が容易に想像される。

豊臣秀吉の用いたものとして伝えられるのが、熊の毛をあしらった甲冑。

秀吉は日本最強の陸上動物の霊力を身にまとい、その力を借りて天下人となる願いを成就したのであろうか。

少し長くなったが、そろそろ結び。

戦国武将は甲冑の外観美・力強さを競っただけてなく、甲冑の持つ内なるチカラを挙って信じていたのだと私は思う。「内なるチカラへの信仰」があったからこそ、彼らの甲冑が桁外れに卓越した造形へと昇華されたのであろう。

太極修練は甲冑のように外から身にまとうものではないが、時間をかけて内に「勁(けい)」というチカラをたくわえていく。練習によりあらゆる無駄や不合理が取り除かれ、外の形と内のチカラが結びついたとき、内在する自己の霊力が現れてくると先人は伝えている。言葉に残されたその経験と知恵、またそれを体現する師父の所作と教えを肝に銘じ、内に虚しく気持ちに充実して日々修練を楽しんでいる。


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