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第39回 北斎の探求と太極拳の修正


すみだ北斎美術館の依頼により大作「須佐之男命厄神退治之図(すさのおのみことやくじんたいじのず)」がカラーで復元された。

関東大震災で焼失した幅2m76cmにおよぶこの絵は、

ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトが様々な疫病神(当時の江戸のはやり病いの象徴)を調伏するという構図。

一見して眼と心に焼きつくすさまじい迫力の絵で、

復元をきっかけに北斎その人に関心が集まるのはまことに喜ばしい。

生涯に描いた絵の数、3万余点。

なかでも私が個人的に関心を寄せるのは、

「人」「風」「水」のモチーフ。

たとえば晩年の「羅漢図」。

北斎独自の力づよい筆致でかかれた羅漢の筋肉の表情は、

最新の科学技術で解析する人体内部の筋肉の動きを正確に写しとり、微塵の誤りもないという。

レオナルドダヴィンチのような解剖学的知識があろうはずのない北斎が、

なぜ解剖学的正確さをもって人体を描けたのであろうか。

可能にしたのは、人の動きの「真」に迫ろうとする画家としての厳しい態度と「外に現れる内の働き」を洞察する鋭い観察眼なのではないだろうか。

「働き」ということに注目すれば、北斎は無形のものが働いて形になった瞬間を写しとることに情熱を注ぎ続けた。

代表作「富嶽三十六景」の「駿州江尻」では、

「風の働き」を人・木々・草などを通して如実に描ききっている。

「風」以上に重要なモチーフで多くの力作が残されたのが「水」。

もっとも人口に膾炙する「神奈川沖浪裏」はいうにおよばず、

「波図」は形のない水が躍動するおごそかな姿を表現してまさに真に迫っている。

絵による表現の可能性と限界に挑戦しつづけた北斎が畢生のモチーフとして風や水または働きのような形ないものの形を選んだのは実に興味深い。

晩年、自己の画業をふりかえって

「6歳から80過ぎまで筆をとらない日はなかった。それなのに猫一匹満足に描けない。」

「100歳を過ぎれば一点一画にして生けるがごとくならん」

と述懐したという。

そして満88歳の死ぬ間際には

「もし天があと10年、いやあと5年でも生かしてくれれば真正の画工になれたのに」

と嘆き、

技量の未熟、さらなる高みへの探究心を示し世を去ったという。

太極拳は永遠の未完成、また一生の修正と言う。

北斎のような天才の技の高みを100人が100人めざすのは難しかろうが、

幸いにも太極拳は100人いれば100通りの太極拳があると考える。

各人の体の状態、現状にもっともみあった内容が、

今のその人にとって最良の太極拳となる。

未熟の修正、現状の更新を生涯継続することができれば、

各人が持って生まれた心身にとって成功・満足といえる太極修練となるのではなかろうか。

それをめざす上で、北斎の探究心から学ぶことは多そうである。


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