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第42回 スキが埋まる


太極拳の套路 (型) は順番を覚えるのが難しいと言われる。

特に古典理論にもとづく伝統太極拳は型の順番が頭とカラダにスッキリ入力されるまでに結構な時間がかかる。

難しさの理由の一つは「断点」を許容するか否かにある。

呉式のような道教系太極拳は、

動きが止まってしまうのはもちろんのこと、

加速や減速でスピードの均等が守れなかったり、

重さが偏り中定が崩れてしまうことも断点として嫌う。

多くの武術で許容、推奨される型の「決め」が、道教系太極拳では厳禁となるのだ。

定式すら見えないように自然の流れで太極拳を行うのは人間が本質的に不得手とするところで、

とりわけ「見せる」「決める」を善しとする文化のなかで育った近代人にとって、これは雲をつかむほどに難しい。拠りどころがまったくないからだ。

しかし日常ではありえない止まらない流れる感覚の中にこそ、

実は難しさと表裏一体となった古典太極拳の妙味がある。

太極拳の攻撃は、「相手のスキへ埋まっていく動き」と言われる。

先師 馬岳梁のような最上級の太極勁を身につけた人の推手では、力や技があからさまに表れず、淡々と手を回しているだけなのに相手がゴム毬のように飛ばされてしまう。

見えないほどの小さなスキへ間髪いれず埋まっていくことができれば、このような現象が起こるらしい。

相手は何が起こっているか理解できないため、当然受け身はまったくとれない。

どんな小さなクボミへも水は流れるようにうまっていくが、太極拳の攻撃とはまさにこの水の流れなのだ。

型と推手の練習成果はいずれもスキへ埋まっていくための体と脳の無為の状態へと収斂する。

馬岳梁のような「知覚即反応」の神速状態になるには、自分のなかのスキ=断点を消すことからはじめ、その熟練により相手のスキへうまっていく状態に至らなければならない。「体と用」として太極拳と推手が二つで一つの体系とされるのはこのためである。

呉式の型と推手がなぜ前傾姿勢で行われるのか?

その答えの一つは、スキへ埋まっていく体を作るためである。

スキへは手の変化でついていくのではなく、全身の協調性で埋まっていく。

腰椎を含めあらゆる関節がゆるみ、すべてが遅滞なく調和してはじめて可能となる動きであるが、

これは前傾姿勢をこととする大きな開合を正確に行うことによって養われる。

スキを感じた瞬間の太極拳の反応は、空間と時間の隙間へ水が流れるように一瞬にしてうまっていく動き。

その消息は、「スキを埋める」という作為的なものではなく、「スキが埋まる」という電光石火の無為の現象に近い。


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