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第56回 正対の難しさ


「なくて七癖」

性格だけでなく体の動きにも人それぞれ特有のクセがある。

昔から少ない人でも七癖くらいは当たり前と思われていた。

体のクセに関して言えば、

正面に正対するよりも体を少し斜めにひねったほうが楽で、

全身のバランスもそのほうがとりやすい。

少し長い時間立つ必要があるとき、

おそらくほとんどの人が体重を利き足にまかせ、

もう一方の足をくつろげて立つのではないだろうか。

両足の向きをそろえ、まっすぐ前を向いて立つ人は少数派であろう。

ほとんどの太極拳の歩法も

人が立ちやすい、つまり左右の虚実を分けやすいという感覚を受け入れ、

片方の足を正面に、もう片方を斜めに向けて立つのが普通である。

わが呉式太極拳と言えば、歩法の基本は平行歩。

前足だけでなく後ろ足も正面に向け、両者は必ず平行。

立ち幅はタテに一足、ヨコに肩幅。

足元が不自由・不安定と感じるほど狭い幅、

また遊びのないきっちりとした足の向きで立たなければならない。

さらに弓歩のときは深い前傾姿勢となるので、

特に初心者の人にとっては足元がおぼつかない。

異色づくめの呉式太極拳であるが、

なにも奇をてらっているわけではなく、

これには大いなる目的がある。

足の自由を奪い、あえて楽を避けることで、

すべての骨格の内面的柔らかさ・自由度を高めるという目的が異色の中にひそむ。

紙幅の都合上、今回は「左顧右眄」については割愛し、

前進・後退に限って話を進めるが、

進むも退がるも、両つま先・両骨盤・両肩は真正面を向き、

ねじれ・ズレがあってはならない。

「美しい数式」のような単純明快な理論であるが、

これがなかなか難しい。

それどころかまさに至難の業。

膝が足の上に乗らなかったり、

骨盤が体のキワからはみ出てしまったり、

肩の向きが斜めになったりするのが普通で、

「上・中・下」縦のラインがキレイにそろい、

同時に全身が真正面を向くようになるまでには結構な時間を要する。

型を繰り返しながら、「まっすぐ正対するための鋳型」に体を当てはめていくことで、

日常なにげなく行っている体のズレ(七癖に起因)にまず気がつく。

それが修正の第一歩。

はじめのうちは鋳型に収まりきらないズレも、

練習を積み重ねるうちに次第に小さくなっていく。

ズレ=クセの消滅度合いに応じて内面の自由度が自然と浮かび上がってくる。

呉式が探求するのは、柔軟のための柔らかさではなく動きのなかで協調する構造の柔らかさ。

これは動きや状況に応じてつながり合い、連絡し合う骨格の柔らかさ。

体の深いところでの自由度の高い柔らかさ(外見には現れにくい)を

太極拳(慢架)と推手の双方向で求めていくのが呉式太極拳の特徴である。

狭い幅、きっちりとした向きのなかで追求する構造上の修正なので、

変化にはそれなりの時間がかかる。

美しい数式のように理論がしっかりしていて、応用範囲が広い。

体は徐々に着実に変わっていく。

変化の中には、正しく動くための柔らかさだけでなく、

用法としての柔らかさ、また健康増進をうながす柔らかさまでも含まれている。

呉式太極拳の進退を正確に行うのは、

まさに「体(基本)」「用(用法)」「健(健康)」の三位が渾然一体となって変化する練習なのだ。


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