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第65回 捨己


「動かすから動くへ

 ゆるめるからゆるむへ

 伸ばすから伸びるへ

 つなげるからつながるへ」

それぞれのフレーズの前半は

そうなるべくがんばっている状態。

後半は、がんばりも動作の主体もなくなり、

動作そのものになっている状態。

太極拳の理想は「自動詞」的な動き。

そのために重要なのは、

アタマとカラダが「考える」「判断する」などの負荷から解放されること。

たとえば、新しい型を覚えているとき。

アタマがフル稼働しているわりには、カラダの動作効率が悪い。

練習で初心者の方が疲れやすいのは、

そういったことが随所に起こっているから。

改善するにはまずは記憶の負荷から解放されることで、

何はともあれ、動きを覚えてしまうことをオススメする。

型を覚えることのなかには、

アタマとカラダの負荷を軽くするだけでなく、

新しい何かを起動させるスイッチも含まれている。

アタマの負荷についてPCを例にもう少し考えてみたい。

重いデータを記憶あるいは計算しているときPCのパフォーマンスは著しく低下する。

頭脳部がフル稼働していて、処理と動作に余裕がないからだ。

データ処理は、読みこみ(取り出し)よりも書きこみ(記憶)のほうが圧倒的に負担が大きい。

そのため作業は、新しく記憶するより、あるものを取り出す状態にしておくのがよい。

人の動きもまた同じ。

効率的かつ迅速に何かを取り出すには、

「できるだけ動きにアタマを介在させない」

「もっとも取り出しやすい場所に記憶しておく」のがよい。

結論としては月並みなところに落ち着くのだが、

「取り出しやすいところ」は「もっとも頻繁にアクセスするところ」。

「IN」と「OUT」を何度も繰り返すことでアクセス効率が飛躍する。

その過程でパフォーマンスの効率も向上する。

「IN」と「OUT」の繰り返しには、重いデータが徐々に軽くなるという余慶があることも見逃せない。

データが軽量化されることでアタマは当然重い負荷から解放される。

「捨己従人」の「捨己」とは、

鋭意努力して己を捨てることではなく、

繰り返しと工夫のプロセスのなかで己が自然に薄まっていくことではないだろうか。

はじめのフレーズのように書けば、

「捨てるから消えていくへ」

であるのが望ましい。


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