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第88回 あるシェフの話 〜 站(たん)を練る人生 〜


先日料理人として尊敬する方のお店にうかがい、瓢簞から駒が出るような、意外かつ貴重な話をきくことができた。

死蔵させるのはもったいないので、ここでシェアさせていただく。

そのシェフは満漢全席もあつらえられる大料理人で、中国料理に関しては可ならざるはない見識と技量の持ちぬし。

中国料理の王道を歩んで来られ、腕の立つ厳しい師父のもと(料理の世界でも師匠を師父と呼ぶのだそう)厳しい修行を積んできた。

生半可な気持ちでは修行に耐えられない。中途半端な体力では身がもたない。精神力、体力、いずれが欠けても挫折・ドロップアウト必至の厳しい世界。

中華は火の料理、火の芸術。厨房はまさに火事場のような戦場で、そこで戦い抜き、成長を重ねるには精神と肉体がともに強いだけではなく、その強さが折れない持久力が重要となる。

そんな環境で一流の料理人を育成しなければならない師父は新人採用の面接で何をみるか?

資質として大事なのは、料理の学識や腕前でも、将来への意気込みでもなく、なんと「立ち方」「歩き方」。立居振舞をみて採るか採らないかの最初のフルイにかけるそうだ。

立居振舞が乱れていたり体のバランスが悪ければ、料理の道では続かない、少なくとも一流の料理人にはなれないと知り合いのシェフの師父は考えていたようだ。

料理の世界でも武術と同じ本質を重んじることに目から鱗の驚きであるが、考えてみれば、いい食材を選び、いい火加減・味加減で最高の調和を創発し、それによってゲストの五感を喜ばせる料理人、もし自分の心身に余裕がなければお客の心に響く料理はつくれない。その心身の余裕は無駄のない合理的な姿勢なくしては身につかないのであろう。立居振舞によって料理人としての将来性を見極めるのは核心をズバリとつく洞察であると思う。

その師父の薫陶をさずけられた友人のシェフは武術経験が全くなくても、武術家がいかほどの訓練を積んでいるか容易に想像できると言う。

立ち方、歩き方、一つみれば修行・技量のほどがうかがえるそうだ。

「料理の世界一筋に生きてきても武術家として「站(たん)」が練れているか否かは一目でわかる。拳をブンブン振りまわしたり、飛んだり跳ねたりしながらの蹴りは、華麗で派手かもしれない。しかし本質は、いわゆるそのような「花拳繍腿」ではなく、ひとえに「站(たん)」を練ることにある。」

とそのシェフは喝破する。

「站」を練るとは、

「大地に根を下ろしてしっかりと立つ」

「肉体としても修行としてもその姿勢を保ち続ける」ことで、自然界では松はいつもそのように立っていると語った。

白砂青松の海沿いの松は海の強い風にも倒されることなくしっかりと立ち、歳寒の松柏は寒くても緑を失わない。また能舞台中央にたたずむ老松は神のよりしろであり長寿の象徴でもある。

「站」を練ることを感じるには松はまさにうってつけの生きものであり、中国と日本には同じ伝統の感性が息づき共有されているようだ。

それにしても畏るべし料理人の慧眼。

分野に関係なく、一流は本質を知り、本質は自然にあること思い知らされるうれしい体験であった。


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